「天皇制維持」の絶対護憲論

鈴木宗男衆院議員との関係で一躍時の人となった佐藤優氏。彼は偽計業務妨害容疑で逮捕され、執行猶予付きの有罪判決が言い渡され、二審では控訴棄却、現在最高裁に上告中である。外務省職員の身としては休職中のなんとも複雑な立場にあるお方である。
その佐藤氏が 『月刊 世界5月号』 で絶対護憲派の立場で論じているという。

佐藤優さんの護憲論2 喜八ログ

『世界』は今回まだ読んでいないが、彼が朝日新聞紙上で(内容的には一緒のことだと思う)絶対護憲論を語っている。この文章を読んだという人の「憲法や改憲国民投票法などあまり関心がなかったが、佐藤氏のこの文章は分かりやすくてすーっと理解できた。今、自分も改憲反対の気持ちが強い」という感想を目にした。
なるほど、佐藤氏の言い分は納得できる。彼がこだわりを見せたのが、天皇について明記してある第1章(第1条〜第8条)を固持することで、(不戦の上に築かれる)国体護持が可能なのだという部分。

  伝統守るため護憲必要  佐藤優 

 外交官として仕事をしていた頃、日本は軍隊を持って普通の国になるべきだと思っていた。だが、逮捕・勾留された経験から、憲法の文言を一言も変えてはならないと強く思うようになった。
  
 1〜8条が定める国体を擁護しなければならない。国体というとおどろおどろしい印象を与えるが、天皇による権威を担保し、政治権力と権威を区分する日本の伝統のことだ。
 
 人間社会は自ら触ることのできない超越したものを求めたがる。ユダヤやキリスト、あるいはイスラム教のある国は宗教が超越性を担保するからいい。日本は宗教の代わりに天皇を置くことで超越性を担保している。
 
 権力と権威が一体化するとどうなるか。大衆を扇動するポピュリズムに流れ、正義を振りかざした大統領の下で国策捜査が行われると、私や鈴木宗男さんは極端な場合、死刑になる可能性すらあるのだ。

 9条で戦争を放棄し、戦力を保持せず、交戦権を否認した日本の安全保障は、米国と軍事同盟を結ぶことで確保された。9条と安保条約はパッケージなのだ。これを欺瞞とするか、結構なことだとするかは、判断が分かれるが、私は結構なことだという立場を取る。

 9条を改定した場合、国体を損なう恐れがある。日本が国軍を持ち、交戦権も確保したとする。戦争になった場合、誰が宣戦布告するのか。宣戦布告は国会の召集よりも明らかに重いから、これも天皇が国事行事として行うことになる。  
 
 戦争に負けた場合、宣戦布告した者の責任が追及されるのは論理的必然だ。太平洋戦争の敗北後、国体は危機に陥ったが、冷戦の兆しがあったなかでかろうじて維持できた。再び危ない橋を渡らないために現憲法は交戦権を否認しておいた方がいい。<2007/04/22>


皇室で生きる人々が歴史や伝統に奔放され、自らの人生に選択肢を失ってしまっていることへの疑問ゆえ、「開放してあげればいいのに」と私は単純に思っている。皇室に生きる人々がどう考えているかは知らないが。憲法第1章(1条〜8条)をなくすことの改憲は、この国から天皇と呼ばれる人をなくすことで国民が本当の平等を分かち合うとの思いもあった。

佐藤氏は日本が平和を維持するために、日本というお国柄には天皇制の維持が重要と考えている。天皇は政治に口出しできないが、政治力を持つ者だけで国事の重大事(交戦権の否認を放棄すれば宣戦布告の事態も)の最終決定もできない。こういった日本独特の事情である「権威と権力の区別」を利用し、残すことが大事であり、日本が生き延びることができようと。太平洋戦争はできたが、同じことは許されないだろう。天皇の権威が「平和を脅かす形で発揮されれば」今度こそ戦争責任が厳しく問われるであろうし、そうなれば天皇を支えてきた国民の信じる伝統さえ否定されるものとなるかもしれない。

現憲法は天皇制を維持するために生まれたようなものだと私も思っている。この憲法があったからこそ、戦後天皇の戦争責任が目に見える形で追及されなかったのだとも思う。今、憲法に手を入れれば、半世紀以上さかのぼって日本という国のあり方まで問われそうな気がする。
佐藤氏のこだわりには、過去と未来と世界を見渡した上で、この国が生きていける方向性を見極めているようだ。再び過ちを犯さない日本を築くための布石としての天皇制維持が現憲法に込められている。「天皇制維持のための護憲論」は多くの国民が納得するかもしれないと、私も考えているところである。


     
  1. 2007/04/23(月) 17:26:53|
  2. この国の行方