経済アナリストの森永 卓郎氏が
『自動車が国内で売れない理由』 というコラムを書いていて、そこには賛否両論様々なコメントが付いて賑わっている。私は、森永氏の論評もコメントしている人々の見方も外れてはいないと思う。生活者の視点から言えば、自動車はマイホーム購入の次に出費がかかる代物だし、それらと同じ位子どもの教育費はかかるし、現代は生活を圧迫する浪費も多すぎる。そんな時代に結婚して、マイホームを購入して、マイカーを持ち、子どもを学校にやる・・・というごく普通の人々の生活と言われる形にもきしみが生じていると感じる。「普通の生活像」が実際は苦しい生き方になっているのではないか、と地方にいて強く思うのである。
東京の街を歩くと3ナンバーの大型車や外車が目立つ。地元の車の半分は軽自動車であり、郡部へ行くと普通車の数がぐーんと減って、軽自動車と軽貨物(軽トラック)である。お金持ちが多い東京のそれは決して生活必需品とは言えないであろう。公共の交通機関が整備されていない地方は、人々の足、都会の電車代わりであることに違いはない。
故郷のローカル線は国鉄からJRへ変わる直前に廃線となった。最も直撃を受けたのは通学に利用する高校生だ。今、16歳になったら原付バイクの免許を取って通学するか、親の運転する車で送り迎えをしてもらう高校生が多いと聞く。廃線後に走る路線バスの運行間隔は2〜3時間に1本である。それでなくとも、鉄道のあった時代でさえ駅まで自転車やバイクで通うほど、高校のある場所は10km以上も離れた遠方なのであった。子どもの減少で高校の統廃合が目の前に迫り、地元で子育てをする人々の不安を煽る。これ以上遠距離通学になれば送り迎えする親の負担がより増え、中には高校の近くに下宿するしか選択のない家庭も出てくる。収入の増えない中で、マイホームは親の家を譲り受けても、教育費と足代わりの車の負担は覆いかぶさる。家族5人以上だというのに、5人乗りの普通車ではなく、軽自動車を選ばなければならない事情が伝わってくるであろう。
自動車は販売台数だけが減少しているのではなく、軽自動車の登録台数も中古車の登録台数も減少している。
http://www.glv.co.jp/company/research/trend/2007_02.pdf私の母親は52歳で車の免許を取った。叔母も50を過ぎていた。周りには60代で取得した人もいる。どの人もローカル線の廃線後である。中高年の無免許の人が競って取得し、今70代となり現役ドライバーとして生活の足として活用しているが、70代は一気に老化の目立つ世代。今大丈夫であっても、急な衰えは突然やって来て、明日の運転は難しいと判断されることもある。70代後半の父といい、50代で免許取得した母といい、来年の運転は無理かもしれない、老老事故の多い昨今、何もないうちに返上してほしい・・・と密かに思ったりする。が、買い物や通院にマイカーがなければタクシーを使うしか方法はない。父母から車を取り上げたら、田舎で暮らすなと言うも同じなのである。
私は思う。
これほどに過疎が進み、不便を強いられる土地に住めるのは、運転できる心身の元気な人だけではないかと。いや、不安はまだある。収入は年金生活者も含めて伸び悩んでいる。地方の勤労者の収入の伸びは横ばいどころか下がっている。年金生活者も貯蓄がなければ、軽自動車だって買えない。いずれ、マイカーに頼る生活にも限界がくるであろうと。
森永氏は構造改革の残した負の結果であると分析し、コメントする人の中には構造改革が改革半ばで達成されないことに原因があるという意見も。
どちらにしても過疎地は衰退する運命だったように思えるが、構造改革はそれを早めたと私は見る。地方の廃退は見る影もない。刺激と活気に溢れる街の空気しか見えていない人々には決して想像できない景色であろうと思っている。
デフレの時代でさえ、子どもの教育費はインフレであった。今、スタグフレーション(不景気で収入は増えないのに、高インフレ状態となる)が懸念される。
食べ物も値上がりする中、この先削るのは車と住宅か・・・と想像する。不景気は私たちの生活スタイルの修正をはかりながら、「未来の生き方も変えよ」と示唆するようだ。
一握りの金持ちが、数千万の貧しい人々の生き方をも握り潰す未来・・・私にはそんな風に見えてくる。一部の人間にとっての構造改革の意味には、こういう思惑が含まれていたというのだから・・・森永氏の指摘はまだまだ優しいものだと思う。
- 2008/02/13(水) 15:17:19|
- この国の行方
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