そんなに言うなら、自分が住む町に基地を呼べばいい

沖縄で米兵が少女を襲ったという事件。地元の狭い地域では少女とその家族の身元も知れてしまっているかもしれない、周りが騒げば騒ぐほど、彼女たちは傷つくと思ったから静かに見守っていようと思っていた。悪いのは、男であり、大人たちであり、この国の政治に関わる人間であり、国民自身であるから、少女を責めることなど誰にも出来ないこと。なのに、口さがない連中は、自分は安全な場所にいて、偉そうな論法をひけらかして、他人を責めることで溜飲を下げているようにしか見えない。そのことに、むちゃくちゃ怒りが増幅する。彼らは間接的な加害者に成り下がって、自分を貶めていることなど想像もしないのだろう。
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 沖縄の負担を減らすだなんて嘘っぱちの『米軍再編特措法案』

岩国基地を巡る市長選挙の結果と言い、米兵の今回の犯行と言い、これらは戦後の日本が選択してきた道のすべての結果である。国策として支持をしてきた日本国民の問題なのである。

私は米軍や自衛隊の基地が必要だという人間が、なぜ自分の住む地域に「おいで」と呼ばないのか、その事の方が矛盾ではないかと思っている。

私の県は過疎地で、国の繁栄から置いてきぼりと感じるのだが、おとなしくて従順で多くが国の政策にとても理解を示す愛国心高いすぐれた県民性を示す。
もうひとつ余計なことを言えば、地理的合理性から見て、軍事基地には持って来いの場所だと思っている。湾を囲むように山が迫り要塞としての地形と整備された道路、人の少なくなった山地は演習場としても最適で、繁華街は米兵がドラッグや買春をやるにはそこそこ条件が整っていると思う。う〜ん、若い女性が多くて、暴力団が裏で活躍できるのならもっと都会がいいかな?
うちの県だけでなくても、探せば条件を備える場所は他にも候補地がたくさんあるでしょ。

ねえそこのあなた、なぜ「私の町に来てちょうだいよ」って言わないの?

自衛隊や米軍の価値を認め、「少女の被害など国防という栄光ある国策のためにはちっぽけな個人の犠牲」と言い放つ人たちよ、なぜ「私の隣に基地を置いて!」と訴えないの?

少女の住む街と同じ条件に自分の身を置いて、そこで初めて批判も出来るというものでしょ。

最近特に多いと感じているのだが、近くの自衛隊の基地からヘリコプターが頭上を何機も飛んでいくだけで、私は空を見上げて「うるさい。どっか行け!」と叫ぶ。基地のある町の人々の日常の苦痛はそれだけでも想像できるというもの。生活道路に薬きょうが落ちているという恐怖も想像できよう。

あらためて言う。

軍の存在価値を声高に求める人は、まず自分の町に基地を呼ぶ運動をしなさい。

  1. 2008/02/14(木) 10:38:23|
  2. 戦争・平和