我が県の借金も、元をただせばアメリカのせい

予算編成の時期である。大阪の驚くような府債金額を借金体質の我が県も笑えない。
県債(県の借金)が右肩上がりに急増したのが、90年代はじめからの約10年間。我が県だけでなく、この国全体の公共事業が増えたのも同時期であり、アメリカが日本に「対日貿易赤字解消のための内需拡大」を求めた結果でもある。子孫にまで背負わせなければならない膨大な借金の元凶は、アメリカの要求にあったのである。
▼朝日新聞の地方版掲載<2008/2/13>から (青色の部分が引用です)

 県の負債残高は1兆6000億円。
 今年度の予算を一家の家計に換算してみると、年収772万円のうち給与は237万円、430万円は実家(国)からの仕送り、105万円は借金。先代から引き継いだ借金が1618万円にもなる。必要な経費(医療や介護など)を削れるだけ削り、食費も7万円に切り詰めて、それでも待ったなしの借金返済のために、借りるより返す方が多い生活というわけである。


※なぜこれほどに借金が増えたのであろうか?とてつもない浪費があったのか?

  豪華な県庁舎と統一されたデザインで同時期に隣に建てられた県議会と県警本部の庁舎。建てられたのは1996年、総工費は606億円にもなり、年間の維持費は光熱費や電話代、清掃委託費など3棟で計7億4200万円かかる。   

※これほどまでに豪華な庁舎をだれが求めたのか?県民のための必要な公共事業だったのか?


 借金の総額に当たる県債残高が上昇し始めたのが、90年代初め。全国の普通建設事業費は97年度に100を下回ったが、県の場合は02年まで待たなければならなかった。

 県幹部は「本来、国のやるべき経済政策に地方が付き合わされた結果だ」と、県債残高が増え続けた理由についてこう語る。 


※国の経済政策というのが、 『日米構造問題協議』 である。

 バブル景気が絶頂を迎えようとしていた90年6月、日米構造問題協議で日本政府は91年度から10年間の公共事業費を430兆円に増やすと約束した。それまでの10年間の約1.6倍。米国からの「外圧」だった。

 米国は巨額の対日赤字貿易を解消しようと、公共事業を住宅や下水道、公園、福祉・文教施設といった生活関連に振り向けるよう迫った。対米輸出に拍車がかかる設備投資をさせず、米国の不動産や企業が日本に買収される事態を防ぐ目的だった、との指摘がある。

 だが、バブル景気は91年2月に絶頂期を迎え、その後、崩壊していく。

 政府は94年10月、景気対策を兼ね、95年度から10年間の公共事業費を630兆円に上方修正する。国は自治体が借金する条件を緩め、さらに事業費の一部を地方交付税で補うことで地方までも公共事業にはしらせた。


※「離島を抱え、災害の多い県であり管轄する面積も多く、港湾などの整備に金がかかりやすい」という言い訳もある。が、県庁舎などは、彼ら県職員の職場である。県の経済事情からみても分不相応であり、当時の首長たちの虚栄心と利権の旨みの大きさを想像するものでしかない。


  ■ 日米構造問題協議最終報告 1990年6月28日

 建設市場に係る制度について内外無差別の原則を維持、関西国際空港,東京臨海部開発等の大規模複合開発プロジェクトなど大都市開発の進行、輸入など流通における適正・公平な税負担の実現、流通に係る商慣行について,競争の促進,市場の開放性確保、輸入手続の一層の迅速化,適正化を図るため、規制緩和に向け直ちに実施する措置(大店法など)、商慣行の改善 などなど・・・



ジョージ・ブッシュ米大統領と海部俊樹首相の下で交わされた約束の成果が、国と地方に天文学的な数字の重荷を残したということであろう。

ただし、被害者にも見える県民にも相応の責任はあると思う。
豪華な県庁舎や不要とも言える公共施設、設備など、知事が建設に積極的であった姿勢を選挙という形で承認したのは県民自身であったことを、当時の国の政権を支えたのは国民であったということを・・・
国の政策であった公共事業への補助金がたとえ優遇されていたとしても、箱物の維持費はその後県民の負担になることは分かっていたことである。

天上にも届きそうな豪奢な楼閣建設を進めた人間はこの世にもういない。歴史に残る文化財の城の価値とも異なる。元凶はアメリカの要求を呑んだ日本にあったとは言え、これからの世代は自らの貧しさと引き換えにしても粉飾の巨塔を支えていかねばならないのである。
  1. 2008/02/16(土) 16:32:01|
  2. この国の行方